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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第九十八想】
2010.07.01

人といのちの幸(さきわ)う町へ

 二年前の春からドングリを育てています。秋になると阿久津小学校北側の雑木林、この土地は近くに住む石塚良徳さんが無償で阿小に貸してくださっているものですが、その雑木林からナラやクヌギのドングリを拾ってきます。最初の年は植木鉢に植えて育てました。水やりを忘れないように注意しながら観察していると、見るからに美味そうな葉っぱが日を追う毎に虫に食べられていきました。中には半分以上食べられてしまった苗木もありましたが、薬をかけたくはないのでそのままにしておきました。虫に食べられながらも苗木たちは枯れることなく育ち、それらの苗木は、それぞれに貰われて行った先で大地に根を張って育っています。

 次の年からは、植木鉢ではなく、直接大地に植えることにしました。生まれつきの物ぐさな性格が災いして、苗木の周りは草だらけ。どれが苗木でどれが草なのか、いつしかぼうぼうと生えている草の中に、苗木がやっと見えるような状態になってしまいました。それでも苗木の周りの草をむしらずに観察していると、あることに気がつきました。どの葉っぱも虫が食った跡はあるのですが、それ以上に虫食いが広がらないのです。なぜなんだろう。鉢に植えた苗木の葉っぱは、どんどん食べられてしまったのに。自分は、草を掻き分けて根元の様子を見てみました。そこには名前など知らないたくさんの種類の虫たちがうじゃうじゃといて、知っていたのはカエル、ミミズ、ダンゴ虫ぐらいでしたが、突然射し込んできた光に戸惑うように動き回っていました。

 謎が解けました。虫が葉っぱを食べ始めると、葉っぱを食べている虫を食べる虫やカエルが、草むらの中から出てきてその虫を食べてしまうのです。だからどの葉っぱも、無傷とは言えないまでも、それ以上に食べられなかったのです。害虫、益虫という区分けはあくまでも人間様が作った分け方で、虫たちには迷惑な話ですが敢えてその分け方をさせてもらうと、田畑にいる昆虫を百としたとき、害虫は十、益虫は三十、その他が六十。害虫は動きませんが、益虫は動き回ります。

 害虫を殺したいが為に殺虫剤をまけば、同時に益虫も死んでしまいます。そうすると害虫が出る度に殺虫剤をまき続けなければならなくなります。見方を変えれば害虫も益虫の貴重な餌だし、「雑草」と呼ばれる名前を知らないだけの草たちも、益虫の棲家となっている。そんなことで、今年も苗木の畑は草ぼうぼうですが、苗木たちは葉っぱを大きく食べられることなく、元気に育っています。

 九年前に小学生から貰った作文を思い出しました。「土づくりセンター」を見学した感想を書いてくれたものでした。そこには「町長さん、世の中に無駄なものは何もないのですね。私たちがその仕組みを作れば、みんな役に立つものになるのですね。」と書いてありました。生ゴミや畜糞尿も「土づくりセンター」を中心とした仕組みの中で役に立つものに変わっているのです。この仕組みは人間が作ったものですが、実は、自然界には元々備わっていたものなのです。

 世の中に役に立たないものは何もない。どの生命(いのち)も、それぞれに与えられた役割を懸命に生きて、結果、他の生命(いのち)の役に立っている。私たちは、もう一度、私たちが創り上げることなど到底出来ない、一見不合理には見えるけれど極めて合理的な、しかもそれぞれの生命(いのち)を生かしきっている自然から、学び直す必要があると思います。

 任期中最後の「夢だより風だより」となりました。感謝の心が根底を流れ、人が人を思いやる、美しい町高根沢の町民皆様に心から感謝申し上げます。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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