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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第百一想】
2010.12.01

キリンビール栃木工場操業終了

 高根沢町にとって、キリンビールは町を代表するシンボル的存在でした。財政面はもとより産業振興、生涯学習や環境教育、さらには私たちが抱く故郷への誇りなど、多岐に渡って数々の恩恵を与えてくれました。昨年の閉鎖発表から今日まで、そのご恩に感謝する気持はいささかも変わっておりません。「本当に有難うございました」に尽きる思いです。また一方で、それだけ大きな存在であったからこそ、寂しく残念であることも正直な気持です。

 私たちは今回のことで、大切なことを学んだ気がします。それは、私たちが空気や水のごとく当たり前のように享受してきた恩恵が、実は先人たちが苦労して残してくれたものであったこと、さらにはキリンビールの懸命な企業努力の賜物であったことを知ったことでした。人も企業も、表面上は今を生きています。しかし生きるということの本質は、今の為に生きているのではなく、次の世代の為に生きているのです。

 私たちが当たり前のように受けてきた恩恵は、先人たちが次の世代の為に生き抜いてくれたからですし、今回の栃木工場閉鎖も、少子化に伴う国内市場縮小という現実の中で、キリンビールが次の世代においても持続可能であるための已むに已まれぬ苦渋の判断であったと理解しています。

 

 これからわが町は、キリンビールという町の誇りを失うことによって、厳しい現実にいよいよ直面していきます。しかし、私たちは諦めません。先人たちが私たちにしてくださったように、今度は私たちが次の世代の為に、どんな苦労があろうとも厳しさに挑戦していきます。幸いにして今回の事態に直面して以降、町管理職の方々は、給与の減額を自ら申し出てくれました。町議会議員の方々も同じでした。さらに町民の中からも、自らが汗をかいて町を創っていこうという機運も生まれてきました。

 願わくば、高根沢町民の心の中に永遠にキリンビールが「私たちの誇り」として残れるような、よい方法と方向性を見い出していきたい。そのために行政としてどこまで出来得るのか。キリンビールとの緊密な連携を保っていきたいと思います。

 私の手帳には、キリンビール全国十一工場のロット番号表が貼ってあります。今はもう栃木工場のロット番号「27」を消さなくてはなりませんが、「27」番は私の中で永遠に不滅です。

 

 

真岡市民交響楽団

 十二月四日、町民ホールで「真岡市民交響楽団特別演奏会」が開催されます。指揮者は高根沢町出身の佐藤和男さん。オーケストラ、オペラの指揮者として活躍されている方です。町の誇りをまた一つ新たに知ることが出来ました。町民として誇らしく、嬉しい限りです。町民ホール自主事業運営委員会に感謝申し上げます。当日、会場でお会いしましょう。

 

 

十二月十九日中村文昭氏が高根沢に

 私にとって、時間があれば追っかけてでも、お金を払ってでも聞きたい話が中村文昭氏の講演です。その講演が無料で、しかもこの高根沢で聞けることになりました。十二月十九日(日)午後二時、町改善センター研修室。主催は氏家法人会高根沢地区会。文昭さんは昭和四十四年生まれ。十八歳の時、家出同然で単身上京。職務質問を受けた警官が友人第一号。焼き鳥屋で人生の師に出会い弟子入り。野菜の行商を始める。将来の基盤づくりに毎日三百円の生活。そこから全てが始まりました。

 「お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!」「過去と他人は変わらない、自分と未来は変えることが出来る!」「問題の難易度が高いほど成長の糧、どんな問題も成長に変えられる!」魂が身震いするような言葉が聞こえてくるようです。町として、大きな難問に直面している今、当日、会場でお会いしたいと思います。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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