• フォントサイズ
  • 中
  • 大

高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第百二想】
2011.02.01

母~その一~

 昨年の大晦日、小学・中学・高校と机を並べた友の母上が亡くなられました。

 私が小さかった約五十年前、日本は、戦後の混乱を脱し高度経済成長の緒についたとはいえ、まだまだ貧しい国でした。私たちは幼心に、物が豊かな未来の夢を思い描きました。少しずつ普及し始めたテレビから流れるアメリカの映像は、ぴかぴかに輝いて夢のような世界でした。その夢に呼応するかのように、彼の母もそしてどの母親たちも、働きづめに働いていました。彼の母は、朝三時からの牛乳配達をした後、日中は別の仕事をし、さらに夫と幼子四人の暮らし万端の世話に休む暇なく立ち働いていました。その当時、彼は母親の寝ている姿を見たことがなかったといいます。

 会葬御礼の文章の中に、彼の言葉がありました。

 「お母さん、あなたの子どもに生まれて幸せでした」

 彼は今、その才能を高く評価され情報ソフト関連企業の社長をしています。自分の楽しみを捨て去っても子を守り育てることの幸せと、立派に成長した子を見られたことの幸せ。そして、あなたの子どもに生まれて幸せでしたと言えることの幸せ。お金は大切ですが、お金で満足は得られても、幸福を得られるとは限らない。そんな思いが込み上げてきたのでした。

 政治の役割をひと言で表すなら、それは制度設計です。年金も医療も教育も産業振興も、すべて政治家の作った制度の中で動いてきました。だから政治家は、ただひたすらに、物が豊かに溢れる国を作ろうと制度設計をしてきました。腹いっぱい以上に食べられて、物が豊かに溢れることが幸せなのだと疑わなかったからです。そしてそれは、ある時期までは正しかったし、一定程度成功もしました。そのことには心から感謝をしています。しかし物を欲する心には終わりがありません。結果として、際限のない物欲に火を付けてしまった今、はたしてこれまでの制度は本当に人を幸せにするのだろうかと、頭を抱え考え込んでしまうのです。目指してきた豊かさが人の心を壊してゆくのだとすれば、このことほど先人の方々に申し訳ないことはありません。

 「物は溢れるほど無かったし、我慢しなければならないこともあったけど、この世に、日本に、高根沢に、そしてあなたの子に生まれて幸せでした」と言い続けられる制度設計はどのようなものなのか。残念ながらまだその答えは見つかりません。いろいろな状況を考えると、日本に残された時間はもう余り無いかもしれませんが、諦めてはならないと思っています。

 

 

母~その二~

 先日、花岡在住のFさんから本をいただきました。「母から そして母へ」すずきふみお著(下野新聞社刊)という本でした。鈴木さんは昭和二十五年、高根沢町桑窪生まれ。昭和四十五年には宇都宮市に移られています。

 本の中身は鈴木さんによるパステル画と詩でした。貧しさの中で、子を守り育てることにすべてをかけた母親の壮絶な人生への鎮魂歌(レクイエム)だと私は感じました。最後まで読もうと何度も挑戦したのですが、いつも途中で文字が涙で滲んでしまうのです。

 肉筆で書かれている文章なので、活字では鈴木さんの思いが十分に伝わらないかもしれませんが、一部を紹介します。

 「せんべえぶとんにくるまり かめのように ねていたおふくろ 一家の苦労ひとりで しょってたもんな」

 「おふくろはつよいよ たったひとり夢をすて 心もすて 我が子への想いで生きた かなわないよ おふくろ」

 鈴木さんのご了解をいただければ、広く町民の皆様に知っていただく機会を作りたいと思っています。この本の底流に流れる思いは、必ずや後世に伝えていかなければならないことですし、人を幸せにする道への入り口は、このへんにあるのではないかと思うからです。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載はご遠慮下さい。
高根沢町 公式ホームページはこちら

インデックスに戻る
ページの一番上へ