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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

新年のごあいさつ
2011.01.01

 一年を区切って新年を定め、心を新たにする節目があることを有難いと思います。惰性に流されやすい人間の本質を知った、先人の賢い知恵なのかも知れません。前の年の失敗、なかなか上手くいかない事案、それらのことにも心新たに、清新な気持で取り組むことが出来ます。高原山からの寒風に耐えている欅や銀杏の木々は、空いっぱいに広げていた葉をすべて脱ぎ捨てて、何かに耐え、何事かを考えているように見えます。まるで本質だけで生きているようにも見えるのです。やはり日本の元旦は「寒きこそよけれ」だと感じています。

 

 昨年も町民の皆様からは、実にたくさんの「教え」をいただきました。それらは今、私の中で「誇り」に変わり、ゆるぎなき「力」となっています。

 昨年の十二月十日、プロ野球千葉ロッテの岡田幸文選手が役場を訪ねてくださいました。昨年の日本シリーズ第七戦。延長十二回表二死二塁。カウント三ボール一ストライクからの岡田選手の打球は、センターの頭上を越える三塁打となり二塁走者が決勝のホームイン。千葉ロッテの日本一を決める決勝打となりました。その岡田選手のふるさとは、この高根沢町なのです。

 

 岡田選手は阿久津小学校一年生の時から、当時学童野球をやっていたお兄さんの見よう見真似で野球をはじめました。風邪で学校を休んでいても、夕方の練習時間になると「風邪がよくなった」と言って練習をしようとし、綱川監督に止められたこともあったそうです。当時から「僕はプロ野球選手になる」と決めていたといいます。「なりたい」ではなくて「なる」と決めていたというのです。

 しかし道のりは平坦ではありませんでした。野球の名門作新学院から日本大学に進むも、左ひじを故障、中退。社会人野球「全足利クラブ」では、昼間ガスボンベの配送などで働きながら、夜、練習に励みました。そして平成二十年の育成ドラフト六巡目でロッテに指名されました。私たちがよく知っている、いわゆるドラフトではなく、「育成枠」の選手としてのスタートでした。昨シーズンは六月一日に一軍昇格。五十m五秒六という俊足と守備能力の高さで一軍に定着しました。

 

 岡田選手はエリートではありません。育成枠での入団に際して「二年間だけ時間をもらいたい。二年間でプロとして芽が出なければ諦める。」と夫人を説得したそうです。練習後のグラウンドに残り夜中まで自主練習を続け、二年目の昨年、今のポジションをつかみました。

私は、岡田選手に聞きました。

「常に心がけていることはなんですか」

岡田選手

「常に心がけていることは、感謝です。多くの人に支えられ、助けられたから今の自分が在ります。自分ひとりの力ではここまで来ることはできませんでした。その感謝の思いだけは忘れてはならないと思っています。」

 

 挫折の底で一度は夢を失いかけたときに、社会の非情と人間の温かさを同時に知り、感謝という宝物を彼は見つけたのだと思います。人間は、自分のことだけを考えているときには、たいした力は発揮できないものです。家族、ご先祖様、裏方として決して表には出ないが汗を流してくれている人々、今日までの人生で出会った人々、それらの人々に思いをはせる創造力を持ったときに、大きな力を発揮できるのだと思うのです。

 挫折の底にあった岡田選手の姿と難問に立ち向かう高根沢町が、頭の中で重なり合います。降りかかる困難を誰かのせいにしても始まりません。全てを受け入れ、しかし諦めず、努力に努力を尽くす。

 町民の皆様には、何卒、本年もよろしくお願い申し上げます。

 岡田選手の言った「感謝」の力を、私は信じています。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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