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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第百十二想】
2012.03.01

大震災から一年

 もうすぐ三月十一日がめぐり来ます。昨年の大震災から一年が経とうとしています。

 大規模な地すべり被害箇所や学校教育施設など、復旧に向けての時間がまだかかります。避難勧告発令地域の皆様や児童生徒の皆さんには、もう少しご不便をおかけしますが、どうかご理解をいただきたいと思います。また被災された家屋の復旧にもまだ時間を要すると思われますので、災害ゴミ等の処理につきましては、個々のご家庭の実情に合わせなければなりません。それらにつきましては町環境課にご相談くださるようお願いいたします。

 

 昨年の大震災では、ここ四年ほど民間交流を続けてきた岩手県陸前高田市が壊滅的被害を受けました。本来なら、町を挙げて支援に向かわなければならない関係でしたが、町も大きな被害を受け支援にまで手がまわらない状況でした。こんなに離れている陸前高田市と同時被災するとは、正直思っていませんでした。

 さらに備蓄物資の補充にも困難をきたしました。震災直後に備蓄物資を使い切ってしまいましたが、原発事故の状況を考え、少なくとも乳幼児の飲料水だけは最低でも確保しなければと補充先を探しました。しかし、既に東北各県に送る予定だということで手に入らないのです。やっと九州で飲料水確保の目途がたち、備蓄することが出来たような状況でした。

 そのような反省の上に、さる二月十四日、長崎県雲仙市との間で「災害時における相互応援協定」を結びました。水害などの局地災害であれば、現在近隣市町と結んでいる応援協定で対処できますが、今回のような大災害では近隣市町も被災している状況であり助け合うことが不可能です。ですから同時被災の可能性が限りなくゼロに近く、災害支援の実績がある自治体が望ましいと考えました。雲仙市は今回の大震災においていち早く支援体制を整え、東北各県に職員を派遣し、支援物資は陸路も使いましたが、一部は貨物船で東北に輸送しました。また、かつての雲仙普賢岳の災害では、雲仙市自体は直接の被害を受けませんでしたが、普賢岳をはさんだ島原市、南島原市への支援実績や、災害後の風評被害を経験し乗り越えてきた自治体です。

 雲仙市の奥村市長との事前協議の中では、この相互応援協定で終わることなく、雲仙市と高根沢町の持つ情報を相互に生かしながら、同時被災の心配ない他の自治体、たとえば四国や山陰、北陸、北海道などの自治体とも協定を結び、万が一の時のためのしっかりとしたネットワークを作る必要があるとの認識で一致しました。さらに東シナ海と有明海両方に面し、日本で最初の国立公園である雲仙天草国立公園があり平地が少ないという、高根沢町とはまったく逆の地理的条件を生かした物産の交流や、児童生徒の交流などの提案がありました。特に児童生徒の交流では、原子爆弾の投下という歴史を経験した長崎県ですから、児童生徒の平和教育といった面でも積極的に検討する意味があると考えています。

 一年前の大災害は私たちに多くの苦難をもたらしました。津波や原発事故によって生活自体を破壊されてしまわれた方々もたくさんいらっしゃいます。だからこそ今回の記憶を忘れてはならない、そう思います。

 

 池田敬介さんという方の文章です。

 大震災の後、瓦礫の中に分け入って捜索する救助隊員が、祈るような姿で瓦礫の中で息絶えている女性を発見しました。死亡を確認した上で、次に移ろうとしたときに、その女性の姿の不自然さが気にかかり、再度その遺体が抱え込んだ腕の中を確認すると、未だ息をしている赤ん坊が守られており、彼女が残した包みの中の携帯電話には「もしあなたが生きていたら、どんなにあなたを愛していたか覚えていてね」とのメッセージが遺されていました。

 

 祈る様な姿のまま硬直化しながら最後の意思でわが子を守ろうとした母親のラストメッセージは、亡くなられた多くの方々の思いでもあります。そして、私たちが引き継いでいかなければならないメッセージです。

 三月十一日午後二時四十六分、町民の皆様と共に、黙祷を捧げたいと思います。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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