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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第百二十二想】
2013.02.01

道徳の国 日本

 以前この欄で「エルトゥールル号事件」のことを書きました(広報たかねざわ平成二十四年四月号)。その後、この事件の場所となった和歌山県串本町の田嶋勝正町長から事件の後日談を聞きましたのでそのことを書きたいと思います。

 

 今から百二十三年前の一八九〇年九月十六日、明治天皇に謁見し帰途に就く途中のトルコ軍艦エルトゥールル号が、折からの暴風雨に煽られ、紀伊半島串本町の樫野崎にて座礁・沈没し司令官であるオスマン・パシャ提督以下五八七名の乗組員が帰らぬ人となりました。今、トルコは世界有数の親日国ですがその理由の一つが、当時の村民の献身的な救援活動にあったことは疑いのない事実です。嵐の中、漂着した傷だらけの外国人に驚きながらも「挙村一致協力、日夜寝食を忘れ奔走」(当時の東京日日新聞号外)。村民は、海岸に打ち上げられた傷だらけの遭難者をロープで自分の身体に縛り付け四〇メートルの崖を上り救護所に運び込み、また海水に浸かって冷え切った彼らの身体を衣服を脱いで抱きしめ、自らの体温で温めました。そればかりか、当時貴重な食料であった畑の芋や非常食用の鶏を惜しみなく供出し負傷者に分け与えたのでした。その甲斐あって六九名の命を救うことができました。それ以来「串本は日本とトルコの友好発祥の地」と言われるようになりました。

 

 ここからが後日談です。助かった六九名が無事日本の軍艦比叡・金剛でトルコの当時の首都イスタンブールに送り届けられた後、トルコ国より和歌山県知事に一通の親書が届きました。書かれていた内容は、救援活動に要した費用をトルコ国へ請求してください、というものでした。その時に村民である三人の医者が連名で送り返した手紙の写しが、十二年前に、地元のお寺で発見されました。そこには「本日、閣下より薬価・施術料の清算書を調達して進達すべき旨の通牒(つうちょう)を本村役場より得たり。然れども不肖、素より薬価・施術料を請求するの念なく、唯唯、負傷者の惨憺(さんたん)を憫察(びんさつ)し、ひたすら救助一途の惻隠心(そくいんしん)より拮据(きつきょ)従事せし事、故(ゆえ)、其の薬価治術料は該遭難者へ義捐致し度候間、此の段、宜敷く御取り計らい下さりたく候也」。決して裕福ではなかったはずの村医をはじめとする村民たちが「はじめからお金を請求するつもりはない。ただただ痛ましく哀れに思い行ったこと。そのお金は遭難した人々に施してあげてください」と返信していたのでした。

 田嶋串本町長は「此の地に生まれ育った者として先人の利他の心に感動すると共に、明治時代を生きた人々の気骨な精神を感じた」と述べていました。

 

 この出来事は百二十三年前に串本町で起きたことですが、当時の日本人であるならば全国どこの地域でこのような事故が起こったとしても、同じ行動を取ったことだと思います。そして現在でさえ捨てたものではありません。数年前、中東のサウジアラビア王国で日本を現地ルポした番組が三十回にわたって放送された際、拾った財布を交番に届ける親子や信号を守る通行人、犬の糞を拾う飼い主や教室の掃除をする小学生の姿に対し、サウジアラビアのリポーターが「信じられない?」とレポートしていたことを思い出します。保有する原油の枯渇化が進み、人口増加による道徳の荒廃が懸念されるサウジアラビアで起きた日本ブームの中で、この番組は高い視聴率を獲得しました。

 落し物を持ち主に戻す道徳が、いかに大きな「文化」であるかが、このことによっても良く分かります。私たち日本人は、外国に誇るべき倫理・道徳を保持し、それを永い歴史の中で放すことなく生きてきたのです。

 エルトゥールル号事件は、一昨年育鵬社から出版された「13歳からの道徳教科書」さらに今年啓林館から出版される高等学校英語教科書「ランドマーク」にも取り上げられています。

 世の中に百点満点の国もありませんし、人もいません。誤りを素直に直すことは当たり前のことですが、誤りや欠点を明日への糧にできるのか、ひねくれてしまうのかの分岐は、自らの国や自分に誇りを持てるのか否かだと思います。だとすれば、多くの問題を抱えてはいても、まずは日本という国に誇りを持つこと、それがすべての第一歩だという気がしてなりません。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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