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この国を滅ぼしたくない

かつのりコラム

高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

新年のごあいさつ
2013.01.01

 鎌倉幕府以降の歴史の中で、「政治」は「士(さむらい)」の仕事だった。

 「士(さむらい)」の精神と哲学は、儒教がその基をなしている。

 そしてそれは、一言で言えば、

 『名こそ惜しけれ』の思想であり、それが「士(さむらい)」の「モラル」だった。

 恥ずかしいことには堪えられない。辱めを受けるくらいなら、むしろ死んだほうがいい。という思想が「士(さむらい)」の思想であり、「士(さむらい)」の行為のすべては、ここから発すべきであるとされた。

 町人の支配する金銭に「士(さむらい)」は無縁であり、金銭に無縁であることに、むしろ誇りをさえ感ずるのが、「士(さむらい)」だった。

 米を中心とする経済社会から、貨幣中心の経済社会に移り、封建社会から、近代社会に移って、士農工商の階級区分は無くなったが、民衆の権利を集約代表する職業的政治家は思想的に「士(さむらい)」の流れをくむものと見なされ、政治家自身もまた、そう思うことに誇りを感じてきた。

 そして、そうであればこそ人々は、政治家を尊敬したのだった。

 

 暮れには多くの「代議士」が誕生したが、「代議士」とは、民衆に代わって議論する「士(さむらい)」と書くのである。

 であるならば、彼らの「モラル」の根底には『名こそ惜しけれ』という思想がなくてはならない。いや、あって欲しい。

 

 二十世紀の成長至上主義の弊害が目に見える形で現れ、二十一世紀型の「脱成長社会」への転換が大きな時代のテーマになっている今この時、「地球は人類の必要を満たすには十分だが、あくどい欲望を満たすには小さすぎる」と言ったガンジーの言葉を思い出す。総選挙で叫ばれた成長が、はたして「人間のための成長」なのか「成長のための成長」なのか。

 新しい年を迎え、国の将来の形が見えない大転換期の中で、「国民を乗せるための甘い言葉」よりも、「明日のこの国の物語」を誠実な言葉で語り続けたい。

 今年もよろしくお願い申し上げます。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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