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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第百六想】
2011.07.01

「確かな未来は、懐かしい過去にある」

 岐阜・長野県境に近い愛知県設楽町で「三河炭やき塾」を主宰する斎藤和彦さんが亡くなって一年が経ちました。病名は肝臓ガン、まだ六十代でした。。

 斎藤さんの住む奥三河段戸国有林は、木曽に次ぐ肥沃な美林で江戸時代は徳川幕府の支配する御林として手厚く保護されていました。明治になって御料林としてようやく開発が許され、入山した木地師の末裔が斎藤さんでした。

 奥三河の地から流れ出る水は豊川、矢作川の二大河川となって三河湾に注ぎます。しかし、戦後の拡大造林政策によって九割近くが人工林化され、年間の降雨量に大差はないにもかかわらず下流の水不足は深刻化し、三河湾の汚染は続き、流域の河川漁協は鮎の成長不良を嘆き、海面漁協は漁獲量の激減を訴えていました。

「ふるさとを守るには、この山を守るしかない」

 斎藤さんは自らを段戸のドンキホーテと称して独り起ち上がりました。都市に出た若者たちに呼びかけながら混交林の森づくりを行い、懐かしい炭窯を作り、間伐材は炭に焼いてヘリコプターで故郷の山々に撒きました。「炭焼きは地球を救う」との合言葉のもと、燻煙乾燥によるシックハウスの防止や炭・木酢液の効能など、私は斎藤さんから多くのことを学びました。エコ・ハウスたかねざわのオープン時には、わざわざ高根沢までご足労いただき記念講演をしてもらいました。

 斎藤さんが亡くなる二ヶ月前に届いた最後の手紙があります。そこには、段戸の山に水車を復活させたいとの夢が綴られてありました。「今ふたたび、少しの電力と粉が挽ければ最高なのです。かつて、重く優しく水車の音が集落を包み込み、人々は優しく親切に助け合って暮らしておりました。何事かある度に村人たちは水車小屋に集まり、子どもたちは意味もなくはしゃいで水車の周りを駆け回っておりました。」

 さらに一篇の詩が同封されていました。

 

 

 「手紙~親愛なる子供たちへ~」

 

 年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても

 どうかそのままの私のことを理解して欲しい

 私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても

 あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

 あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

 あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

 悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい

 楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

 あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

 悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい

 いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない 足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったら

 あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

 私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい

 あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど 私を理解し支えてくれる心だけを持っていて欲しい

 きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです

 あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

 あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

 私の子供たちへ 愛する子供たちへ

 

                      (原詩ポルトガル語、作者不詳。訳詩・角智織。)

 

 

 捨て石の精神を説いた斎藤さんは、ふるさと段戸の土になりました。あれから一年。これから私が踏み出す一歩は、捨て石となった斎藤さんの上に置かなければと思います。

 斎藤さんの手紙はこう結ばれていました。

「確かな未来は、懐かしい過去にある」

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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