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この国を滅ぼしたくない

かつのりコラム

高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第九十七想】
2010.06.01

自由と凧

 若く柔軟な発想は貴重です。世の中の仕組みがある程度整い、そのこと自体は人々の暮らしにとって有益なことなのですが、その制度自体がいつの間にか既得権を守るだけといったような制度疲労を起こした時に、その状態を打破するものはしがらみのない自由な発想だと思います。私自身もそのことを信じて行動してきました。かつて歴史上で繰り広げられた若者たちの社会への抵抗も、時に行き過ぎたことはありましたが、同じ思いであったと思います。

 誰の文章かは忘れましたが、昔、社会に異議を唱え、先頭に立って運動を牽引した方の言葉が最近思い出されます。

 「自由とは凧のようなものだ。地上と糸で繋がっているから、飛んでいられる。糸を切ったら落ちる。自分たちは若い時、糸を切ればもっと遠くへ飛んでいけると思っていた。」

 地上と繋がっている糸とは、両親やご先祖様、年上の方への感謝の心であり弱き者への慈しみであり、正しいことを実行したとしても必ず傷つく方々がいるという事実への思慮なのだと思います。

 この言葉を本当のことだなと妙に納得してしまう最近の私ですが、歳をとったから丸くなったとは思っていません。人生の最高の教師である「時間」が教えてくれたのだと思うのです。制度疲労を起こした仕組みは壊さなければなりませんが、「地上と繋がった糸」もまた大事にしなければと考えています。

 

 

宥座の器(ゆうざのき)

 長く町議会議員や公的団体の長を務められ、今は第一線から退かれていますが、常に大所高所からの助言をしてくださる方がいます。あえてお名前は伏せますが、私が尊敬し、時々ご自宅にお邪魔をしては教えを請う方です。

 「高橋さんは『宥座の器』を知っていますか?」残念ながら勉強不足の私には初めて聞く言葉でした。「宥座の器」とは、何も入っていないときは傾き、水を七、八分目入れると安定した状態を保ち、満杯にするとひっくり返って水がこぼれてしまう、そんな不思議な器のことだと教えていただきました。

 中国の春秋時代、孔子は弟子たちに水を注がせて「虚なれば傾き、中なれば正しく、満つれば覆る」と諭したといいます。意訳をすれば「世の中はすべてこの器と同じことかもしれない。目一杯に満ちると覆らないものはない」といったところでしょうか。

 腹八分目が大切。足るを知る。絶頂のときが最大の危機。これらの言葉はすべて「宥座の器」の教えのような気がします。どうも私は性格上、器には目一杯水を入れないと気が済まないのですが、そのことで元も子もなくなってしまうのであれば、しっかりと肝に銘すべしと感じ入ったのでした。「自由と凧」といい「宥座の器」といい、先輩方の教えはやはり本物なのです。

 余談ですが、満杯にすると覆ってこぼれてしまう「宥座の器」にもっと水を入れたいときにどうすればいいかという問いに対して、さて、なんと答えたらよいかと思案している私を横目に、「器自体を大きくすればいい」と即答したのは菊地副町長でした。そうです器を大きくすればいいのです。世の中の全てに通じることのようで、頭をガツンと叩かれた思いでしたが、同時にさすが副町長と嬉しくなったのでした。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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