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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第七十三想】
2006.04.01

いよいよ「手間 暇 かけて」

 今年の一月十五日に新聞折り込みにて配布しました「高根沢町地域経営計画(案)」が、町民の皆様からのパブリックコメントによる一部修正を経て、三月議会で議決されました。

 

 冒頭の「手間 暇 かけて」は、この計画の合言葉です。一九七〇年代から私たちはひたすらに利便性を追及してきました。確かに豊かさを手に入れたことも事実ですが、同時に大規模な自然災害や凶悪な犯罪の頻発など、深刻で複雑な問題に直面することにもなりました。「これで良かったのか」、「このままでいいのか」、「真の豊かさとは何か」、誰もが気づき始めているのに抜本的な解決策を見出せない、それが今の社会の在りようだと思います。

 

 スウェーデンはかつて、今の日本と同じような事態に直面しました。そしてその時から、豊かさ一辺倒の考え方を少しずつ変えてきた国です。今、スウェーデンの教科書にはスティーグ・クレッソンという人の次のような詩が載っています。

 

 《第二次大戦後、スウェーデンは豊かな国となり、人々が「繁栄」と呼ぶ状況を生み出した。

 私たちは戦争を回避し、工場を建設し、そこへ農民の子どもが働きに行った。

 農業社会は解体され、私たちの国は新しい国になったが、人々が本当に我が家にいるといった感覚を持てたかどうかは確かではない。

 一九五〇年から六〇年に至る十年間に、毎日三百戸の小農家が閉業するというスピードで、農業国スウェーデンが終焉した。

 人々は大きな単位、大きなコミューンを信じ、都市には遠い将来にわたって労働が存在すると信じた。

 私たちは当然のことながら物質的には豊かになったが、簡単な言葉でいえば、平安というべきものを使い果たした。

 私たちは新しい国で、お互い他人同士となった。(後略)》

 

 豊かな国を創ろうと歯を食いしばって血のにじむような努力をしてこられた先輩方の努力を否定するつもりはありませんし、豊かさや利便性が駄目だというつもりもありません。ただ、豊かさや利便性を得た代わりに、安心安全を犠牲にしてお互いが他人同士としか感じられない地域社会になってしまったとすれば、大量生産、大量消費、大量廃棄社会の中で「手間なし」「手間要らず」に価値を見出してきたこれまでを反省しなければならないと思うのです。世界学生意識調査というものがあり、その中で「他人を信頼しているか」との問いに対して、スウェーデンと同じ北欧に位置するフィンランドの学生は七三、六%が信頼していると答えましたが、日本の学生は二九、二%でした。私が小さい頃、学校から帰ると「子どもは外で遊んでこい」と家を追い出されたものでしたが、今は「外で遊ばないように」です。どこかが病んでいると感じるのは私だけでしょうか。

 

 少し前までマスコミでは「勝ち組、負け組」という言葉がばっこ跋扈していました。最近は「上流、中流、下流」という言葉です。どちらにも共通していることは、お金があるかないかという物差しのみがそれらを分けるということです。

 

 かつてチャップリンは映画「ライムライト」の中で「人生に必要なものは、勇気と想像力と、ほんの少しのお金だ。」と言いました。また「私たちがみんなで、小さい礼儀作法に気をつけたなら、この人生はもっと暮らしやすくなる。」とも。

 

 私の小さな手帳の最初のページにはこんな短歌が書いてあります。

 

  服あふれ 靴あふれ籠に パンあふれ

  足るを知らざる 国となり果つ

               富小路貞子

 

 もしマスコミから「あなたは上中下流のどれだと思いますか?」と質問されたら、私は迷わず「手間暇かけた自分流です。」と答えたいと思っています。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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