• フォントサイズ
  • 中
  • 大

高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第三十七想】
2002.08.01

 私の唯一の趣味は炭焼き。といっても炭焼きの時間を確保することがなかなかできず、為に、腕前はいっこうに上達しない。未熟な腕前ゆえに、炭焼き愛好会の皆さんには迷惑をかけるばかり。けれど、材の切り出し・搬出・調整といったしんどい作業を経て窯に火を入れた後のゆったりとした時間を過ごすことは、腕前の未熟・円熟に関係なく平等である。窯の中で、自らの力で炭化していく材に思いをめぐらせながらただ待つ。人間のやることは温度管理だけで、あとは材自身に任せる。最初は水分をたくさん含んでもくもくとボリュームたっぷりだった煙も、最後には青白く透明になり、「からい匂い」がしてくると炭化終了である。一度とて同じ炭はできないが、温度管理がうまくいった時(これとて偶然の範疇だが)の炭の断面は黒いダイヤのように輝いている。「切り炭の 切り口清く うつくしく 火となりしときに 恍惚とせり」(前川佐美雄)などと、歌が自然に口をついて出てくる。

 

 炭といえば昔はどの家にも火鉢があった。祖母はその火で手を温めたりしながら裁縫をしていたものだが、孫が外遊びから帰れば小事飯(こじはん)《栃木の方言でおやつのこと》のモチもその火で焼いてくれた。そして火の空いているときは鍋をかけて豆を煮ていた。このことを「捨て炊き」と呼ぶことをある記事から知ったのは最近だが、その文章にはこうある。「ほら、そうするうちにお豆がぷつぷつとつぶやくように音をたて始めるだろう。これをね、お豆さんのほほえみというんだよ」。

 

 ああ、いい話だなあ、と思う。ゆっくりとした時の流れの中で、やわらかくやわらかく煮られていく豆の姿が音とともに記憶に蘇ってくる。高根沢町という鍋の中にいる子どもたちが、喜び・悲しみ・辛さ・悔しさ、いろいろな思いを重ねていく中で、「お豆さんのほほえみ」のような笑顔で生きていってくれるようになったらいいなあとつくづく思う。そしてそのためには、灰の中の炭のように、私自身の中に火を保たなければならない。

 

 八月二日から二期目にはいりました。結果は有効投票数の95㌫という予想以上の信任をいただくことができましたが、全有権者数からすれば54㌫の信任であるということを忘れてはいけないと思っています。

 

 高根沢町の抱える数々の課題を考えるとき、その重要さを目の前にして、身震いするような緊張感に襲われます。しかし、「私たち大人は、これから私たちを支えてくれるであろう子どもたちに、夢のようで夢でない、自分たちの住む町を考え、自慢できる町にしていくための姿を、行動を持って示していく役割があるのです」と町民の皆さんに訴えてきた者として、持てる能力のすべてを尽くすことは当然です。

 

 町民の皆さんと一緒に、「当たり前のことが当たり前にできる町」「なんでも揃う世の中でも、命はひとつ」「本当の豊かさとは何なのだろう」といったキーワードを常に考えながら、「オンリーワンの町づくり」を進めていきたいと思っています。

 

 よろしくお願い申し上げます。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載はご遠慮下さい。
高根沢町 公式ホームページはこちら

インデックスに戻る
ページの一番上へ