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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第六十想】
2004.10.01

 九月議会が終わりました。今議会では平成十五年度の決算や今年度の補正予算等を中心に審議が行われました。平成十五年度決算には、監査委員の丁寧かつ厳格な意見が付され、議会の各常任委員会においては決算書の細部まで厳しいチェックが行われました。毎年付される監査委員の意見書は決して甘いものではなく、ともすると行政という小さなコップの中にいることで見失ってしまいがちな視点を、確かな事実・データを根拠とした説得力を持って、町執行部に迫ってきます。決算という形のなかでこの町の姿が明らかになり、在るべき姿に向かっての改革・改善の教科書として、私は毎年いただいています。総じて厳しい意見書ですが、その中で、町がこれまで取り組んできた行政品質改善のためのISO9001取得や行政評価システム導入、人事評価システム導入の効果について、少しではあるけれども認めていただけた記述のあったことは嬉しくもあり、さらにこの効果を大きいものにしていく決意を新たにしました。私は常に自分の机の手の届くところにこの決算審査意見書をおき、折を見ては読み返しています。課せられたどの宿題が済んでどれが済んでいないのか。

 

 済んでいない宿題は今のやり方でいいのかどうか。今のやり方でダメならば違う方法・手法は考えられないのか。終了のホイッスルが吹かれることは永遠になく、逆に目の前の宿題が終わる前に次の宿題が課せられるような状態でもあります。

 

 この意見書を手に取るたびに思うのですが、拘束時間に比して極端に低い報酬のなかで熱心に監査に取り組んでおられる二名の監査委員に感謝の念を禁じえません。行政区長や自治公民館長、保健委員、民生委員、その他ここには書ききれない数多くの方々の活動にもまた同じ思いです。ボランテイアの原点は足元にあり。私たちが心しなければならないことだと思います。

 

 先月号のこの欄で書いた「立って半畳、寝て一畳。天下取っても四畳半。」という言葉は「起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半。」が正しいのでは、というファックスをいただきました。ご指摘の通りです。ただ少し言い訳になりますが、どうして二合半を四畳半と言葉を変えたのか、説明させてください。

 

 二合半とはつまり主食であるお米の量のことです。国民一人当たり、一年間にどの位お米を食べているかを見ると、昭和四十年が約百十二キロ。それが平成十五年は約六十二キロとなっています。かつて(今でも?)人は炊いたお米を「銀シャリ」と呼びました。見た目の輝きだけではなく、金銀財宝と同じように価値あるものだという意味もこめられていたのではないでしょうか。物の値段の変遷を比較するときにも「米一升の値段」が物差しとして当てられました。お米は人々の生活の中心に在ったのです。しかし残念ながら今のお米の存在はそうでなくなりました。だとすると、私より若い年代の方が読んだときに、言葉全体のイメージが正しく伝わらないのではないか、との心配から私が勝手に造語をしてしまいました。ここにお詫びを申し上げると共に、正しい言葉はご指摘のとおりと訂正させていただきます。

 

 今年はお米の値段が安いようです。需給関係という経済の原則は在るのでしょうが、先月号のこの欄にも書いたように、水田十㌃がエアコン八十台分の役割を果たして私たちの電気代を軽くしてくれていることを考えたら、日本の国づくりという観点からもゆるぎない骨太の農政が必要ではないのかと思います。

 

 また、毎日毎日休むことなく乳牛の世話をして出荷した飲用乳価が、市販されている水の値段よりも安いという現実も、これでいいのかなあと、国づくりの観点からは思わずにはおれません。

 

 生産者や消費者という枠ではなくて、「この国が滅びないために」という視点が必要だし、その視点とは、二十世紀の視点とは明らかに違うものだと思うのです。早くしなければ間に合わない、そんな焦りの毎日です。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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