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この国を滅ぼしたくない

かつのりコラム

高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第三十想】
2001.11.01

 「豊かな自然と、親の愛、ほどほどの貧しさがあれば子どもは育つもんじゃ」“ちゅらさん”に出ていたオバアと見まがうお婆さんから、こんな言葉を聞いたとき、私は天声人語の文章を思い出した。

 

 弁当をめぐる思い出についてのものだった。戦中、戦後の貧しい時期、弁当を作ってもらえない子どもが少なくなかった。「子どももつらいし、親もつらかったと思います」という岩手県のYさんは、遠足のとき、そんな子に自分の弁当をふたに入れて分けてあげた。その子は受け取ってくれて、「それで私は幸せでした」とYさんは回想している。

 

 「お袋に嘘をついて毎日弁当を二つ作ってもらった」という栃木県のTさんは、一つを疎開児童のS君に渡していた。しかしS君は食べないでどこかへ消えてしまう。ある日あとをつけると、S君は妹に渡していた。

 

 先生たちも悩んだ。弁当紛失に誰も名乗り出ないので、児童を外に出し、先生が捜しはじめた。捜すのを手伝わされた副級長のKさんは、女の子のカバンにその弁当を見つけた。先生は悲しそうな顔をし、厳しい表情に変わって「だれにも言ってはいけません」と静かに命じた。以後紛失事件はなくなったという。

 

 「人間としての力」とはいったいなんだろう。いろいろな言い方ができる。多くの角度からたくさんの中身を挙げることができるけれども、今の私にとってもっとも重い人間力の中身は「自分の悲しみを悲しむ心と同じように、他人の悲しみを悲しむ心」ということができる。

 

 小学1年生の子がいて、その子のお母さんが亡くなると、その子は涙を流すと思う。しかし、その子の親友のお母さんが亡くなったとき、この子は涙を流すだろうか。この子が6年生になったときに、親友のお母さんが亡くなったら間違いなくこの子は涙を流す。1年生から6年生までの時間の中で、この子の中に、「他人の悲しみを悲しむ心」が育っている。人間力が育っていることだと思う。

 

 では、時間がたてば人間力は育つのだろうか。否である。群れから離して単独で飼育されたチンパンジーの半数は子育てができないという(京大霊長類研究所の報告)。チンパンジーは群れという環境の中で、他の母親の子育てを見て学ぶのであり、群れの中では、まだ子を産まない若いメスがほかの子を抱きたがる行動を見せる。「母性本能」といわれているものも群れの中で学習することではじめて開花するのである。

 

 カナダで行われている「共感教育」はその点で示唆に富んでいる。幼稚園や小学校で、教室に乳児とその親を迎えて、ふれあい、観察する。生後まもなくから毎月一回、誕生日が来るまでの一年間、同じその子の成長を見守る。そんな中で、口数の少ない子どもがかわいい赤ちゃんを見て、思わずあれこれ語りかけるようになった、多くの子どもが自分の幼かった頃に関心を抱き、自分を大切に思うようになった、といった効果が報告されている。

 

 「人間力」に思いをはせるとき、現実を前に私は暗くなる。小川の生命の連鎖は絶ち切られ、湧水は枯れ、祖父祖母とのふれ合いは薄く、「死」は身近になく、孤食、しかも食べるものはどこの誰がどのように作った物かもわからず、物を買う端から捨てる。

 

 「町づくりは人づくり」の原点は、「人間力」を育てることからはじまるのであり、そのことは、残念ながら現実のある部分を否定することからしか成し得ない。

 

 町長就任から3年3カ月が過ぎ、高根沢町の進むべき町づくりの方向について、これで良かったのかどうか。もちろん自らの固い信念に基づいておこなってきたが、今も自問自答を繰り返している。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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