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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第二十八想】
2001.09.01

 2001年の幕開けとともに田無市と保谷市が合併して「西東京市」が誕生し、5月には大宮市、与野市、浦和市が合併して「さいたま市」が誕生しました。マスコミは明治の大合併、昭和の大合併に続く平成の大合併と捉えているようです。過去の大合併は、明治維新、戦後改革と軌を一にしてすすめられました。それに倣えば今回の合併議論は、地方分権改革等の「第三の改革」の中に位置付けることが出来るでしょう。

 

 では半世紀ほど前の昭和の大合併はどのように、そしてどうして行われたのでしょうか。昭和28年に町村合併促進法が制定され、3ヵ年ほどで日本の市町村数は一万弱から3500程度へ一挙に三分の一になりました。現在の形がこのときに出来たわけです。

 

 当時の資料を調べたときに面白い記述に出くわしました。人口要件とは別なのですが、面積要件として30平方キロというような議論がなされたようです。市町村の形が仮に円形だとすると面積30平方キロとは半径3.09キロになり、役場が中心にあると仮定すれば市町村域の端まで3キロ強となります。半世紀前といえば自転車が普及してきた頃でしょうから、町の端から役場まで自転車で20分前後でいける距離というのが昭和の大合併のひとつの目安だったようです。

 

 21世紀を迎えた今、当時の自転車はクルマにかわりました。今の日本の人口は1億2千万人ですが、その日本に7千万台を越えるクルマがあります。したがって私たちの生活圏は飛躍的に広がりました。もっとも生活圏の広がりはクルマに代表される交通手段の発達だけが原因ではありません。通勤圏の拡大もその一つです。半世紀前、日本の職業構成は約半分が第一次産業従事者であり農業が最大の割合を占めていました。農業者の場合、その職場(つまり田畑)は自宅から歩いていけるところにありました。しかし現在では、第一次産業従事者は一割に満たず、就業者の七割以上はサラリーマンとなりました。自宅と職場が同じ市町村にある人は少数派でしょう。住民票一つとるにも年休を取らなければならないというのが実態です。

 

 さらには通学圏の拡大もあります。1950年代の高校進学率は40%台でした。それが2000年には97%となりほとんどの人が高校に通う時代となりました。そのほかにも買い物圏の拡大、医療圏の拡大など、これらについてはあらためて説明をしなくともご理解いただけると思います。

 

 そもそも市町村は何のために存在するのか。「住民により安いコストでより良いサービスを提供する装置」それが市町村の存在意義だと思います。主権者でありスポンサーであり、顧客でもある住民の日常生活圏が拡大したのであれば、住民へのサービス提供装置としての市町村の単位も、それにあわせるのが原則でしょう。子供が大きくなれば、それに合わせてより大きい服に替えていくように自然なことであると思うのです。

 

 今回住民の日常生活圏という角度から、合併について述べました。もちろんこれだけではなく、財政や文化など他のあらゆる角度からも検討しなければならないことは言うまでもありません。字数の関係でこれ以上書けませんが、合併問題については今後、広く町民の皆様の考えをお聞きしていきたいと思います。

 

 ところで先日、匿名の「一町民」の方より企画課宛に素晴らしい手紙をいただきました。空き缶等のポイ捨てにたいする具体的な考察がたくさん書いてあり大変参考になりました。「最終的には捨てない人を育てていかねばならないと思います」とありましたが、時間はかかってもあきらめずにこのことに取り組むことこそ、究極の解決方法であると私も思います。少しでも提案が実現できるよう努力することを約束して、御礼にかえたいと思います。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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