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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第四十四想】
2003.04.01

 たかお神社は大谷の鎮守である。天延年中(九七三~九七六)に下野右門正(しもつけのうもんのかみ)が五行川の大岩に竜神を祭ったのが始まりだというから、その歴史は実に古い。椎、樫、ヒバ、榊、杉・・・。鎮守の森の植生は実にさまざまで、ビルや舗装道路は百年で崩れるが、鎮守の森は千年の昔からありつづけることを無言で示している。

 

 三月十六日、このたかお神社東側の小川で「鎮守の森ホタル大作戦」と銘打って、ゲンジボタルの幼虫が放流された。企画したのは、大谷地区の自然環境保全を目的に組織された「なまず会」(板橋康雄代表世話人)。晴れはしたが、春は名のみの冷たい風の中で、地元の方々や小学生、保護者など大勢の参加があった。地元の方々は放流に先立って、鎮守の森の下草狩りや間伐、倒木の除去、境内の清掃などに汗を流されていた。

 

 昨年の六月三十日、大谷地区では地区内を流れる五行川に、見目守男代表区長らの発案と努力によって、なまずの稚魚一万匹を放流したことが思い出される。「・・・・ぬるぬる・・・なまな・まなまずっこ祭り」という楽しい名前は忘れようにも忘れられない。かつての清流を取り戻したいとの願いを込めて、唸橋(うなりばし)下流からなまずの稚魚を放流していた子どもたちの歓声が今でも耳に残っている。

 

 今、大谷地区の方々の様々な「思い」は、「なまず会」という形になってしっかりと引き継がれようとしている。今年の一月と二月には、「なまず会」のメンバーが五行川の清掃活動を行った。身を切るような冷水の中、川沿い約三キロにわたって、防水服を身につけ腰まで水に浸りながらの作業だった。収集されたゴミは、古タイヤや電化製品など九百キロを越えたという。時折、昨年放流したなまずが元気に顔を見せたともいう。

 

 板橋代表世話人はこんな話をされた。「子供たちが放したホタルの幼虫は四月末から五月頃に川から出て土にもぐり繭になります。そして約五十日位あとに、やっと皆さんも知っているお尻を光らせて飛ぶホタルになります。でも一週間から十日くらいで死んでしまうそうです。その間に恋をして卵を産みます。その卵が無事に育てば、また来年鎮守の森を飛びまわることになるでしょう。そうする為にも、ホタルの住む環境をきれいにし続けなければなりません。ホタルが生きていくには、美しい自然が必要です。ホタルだけではなく、私たち人間を含めたいろいろな“いきもの”にも美しい自然は絶対に必要なのです。」

 

 昔、まだ板橋さんたちが幼い頃、この鎮守の森は絶好の遊び場だったという。境内での野球、相撲、かくれんぼ、缶けり。神社の縁の下に住むアリジゴクをいたぶる競争。境内の地面の中にひそんでいるハンミョウの幼虫をにら草で釣るニラムシ取り競争。夏休みには、真夜中に、森の奥深くにある井戸までの度胸だめし。真夏でも境内は、ひんやりとした気持ちのいい天然のクーラーであり、乳飲み子は祖母や母に背負われて鎮守の森に包まれていた。蝉しぐれの残響は心地よい子守唄だったことだろう。

 

 「川で泳ぐ自分たちのために、親が瓶拾いなどをしてくれた。鎮守の森も守ってくれた。」と板橋さんは続ける。子は親の背中を見て育ち、子は親となってその子に伝える。

 

 何十年後かの地域やこの国のありようは、今を生きる私たちの鏡にほかならない。

 

 合併が大きな課題となっているからこそ、徹底して「地域」にこだわっていきたい、と思う。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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