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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第三十四想】
2002.04.01

 今年の春の訪れは早かった。コブシが咲きハクモクレンがほころび、梅が香り、沈丁花が香り、レンギョウがそして姫踊り子草が日一日と満ちあふれてくる光に踊っていた。「元気あっぷむら」のカタクリの群落は今年も健在だった。

 

 「山笑ふ ことに雑木の明るさに」(安達公彦)。遠くから眺めると雑木山のところだけが、赤らみはじめた芽のせいで華やいで見える。もうすぐ若葉が萌えいづる時を迎える。毎年この季節には、命への賛歌を大声で歌いたい衝動に駆られる。

 

 5年前の若葉の頃、心身障害児を持つ親の会「わかばの会」(坂主晴美会長)が誕生した。「私は生きたいです。この子より一日だけ長生きしたいです」。この言葉は映画「どんぐりの家」のなかで障害を持つ子の母親のセリフだった。子の親ならば、子には自分よりも1日でも長生きしてもらいたいと願う。「わかばの会」の皆さんは、そんなあたりまえの願いさえ持つことを許されない。「この子より1日だけ長生きしたい」という言葉には人間としての底のない悲しみがこめられている。

 

 「わかば」と題された会報は今日までで34号となった。その第1号にはこうある。「子供達が学校を卒業して地域社会へ戻ったとき、ひとりの人間として尊重されるような生活をさせてやりたい。その為には、そういう場を作ってやらなければなりません。黙っていたのでは、悲しいけれど誰も作ってくれません。私たち親が立ち上がらなければならないと思います」と。

 

 数々の思い出が浮かんで来る。1998年3月15日、いきいきフェスティバルでのチャリティーバザー。「わかばの会」では会員のSさんが仕事の合間をぬって丹精こめて育てた花苗を出品した。バザーも終わりに近づいた頃、岡田町長が店に顔を出された。そしておもむろに、「残っている花苗を全部ください」といって財布をだされた。皆、あっけにとられるやら嬉しいやら。岡田町長が急逝される3カ月前のことだった。

 

 同じ年の8月に行われた「どんぐりの家」上映会は、「わかばの会」にとってはじめての大イベントだったと思う。当日はあの那須災害をもたらした豪雨だった。そんな中で予想以上の来場者、販売コーナーは大盛況、託児室は依頼者の多さに四苦八苦。施設建設基金獲得の目的はもちろんだが、当日の最大の収穫は、ずぶ濡れで車を誘導してくれたボーイスカウトの人たちを含め300名ちかくの協力者であったにちがいない。

 

 おもちゃ図書館開設、数々のイベントへの参加、映画上映会やコンサートの開催、町内外の多くの団体や個人の方々の支援など書き出せば1冊の本になってしまう。

 

 もちろん今日までの歩みが平坦であったわけではない。「障害をもつ子の親は、子供を育てるだけでも大変なことが多いのに、更にこういった活動をしなければ子どもたちの行き場はできないものなのか疑問である。他の兄弟にもしっかり目を向けてやりたい、仕事もしたい」という切実な声もある。退会の申し出もある。これらの声は私に向けられた批判でもあると思っている。反論はない。黙って努力するだけである。

 

 平成14年度、授産施設とデイサービスセンターを備えた「いぶきの里(仮称)」建設が具体化する。十分とはいえないが、国・県の補助はもちろん、町の支援についても議会のご理解を賜り予算化することができた。「わかばの会」の活動の結晶である。皆さんのこの5年間の活動がなかったならば具現化できなかったことはまちがいない。

 

 「障害を持っていても、地域の中で、当たり前」の生活をするために、「ここは楽しい、何でも話せる、何でも言い合える、何でも受け止めてもらえる」場にするために、そして「この子が自分より長生きしてもらいたい」と願うことができるために、本当の施設にしていっていただきたいと願っている。町民の皆様にもいろんな形でのご支援を願ってやまない。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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