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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

夢だより 風だより【第二十三想】
2001.04.01

 「炭焼き窯で炭を焼かせてもらっていいですか」後輩のA君からこんな申し出があった。炭焼き窯とは昨年の10月に、県の支援を受けて元気あっぷむら敷地内に設置した窯のことである。設置から今日まで10回ほど、農政課職員と炭焼きに興味を持つ有志の方々の協力を得て試験的に炭を焼いてきている。

 

 A君から詳しい話を聞いたところ、4月にバザーがあり、益金は県内の社会福祉協議会等に寄付をするのだそうだが、そのバザーに自分たちで焼いた炭と木酢液を出品したいとのことであった。

 

 炭といって想い浮かぶのは固い燃料炭かもしれない。日本が高度成長期を迎えたころから炭の需要は激減し、炭を焼く風景は私達の視界から消えた。しかし、最近になって除臭・浄水作用が注目を集め、環境や健康の面から炭がにわかに脚光を浴びてきている。木酢液の効能もしかり。しかも除臭・浄水作用に優れているとされる材料は、燃料用としては見向きもされなかった杉・桧といった黒木類や竹である。

 

 日本の林業は、外国産材の輸入によって疲弊しきっている。かつては恒常的に行われた間伐も、かつての半分以下となった木材価格のもとでは労賃を捻出できない。間伐のない山の木々はやせ細り、陽光の届かない地面には草が生えず、雨のたびに表土は流出せざるを得ない。山はますます痩せ衰えていくばかりである。

 

 中国の詩人、杜甫・李白の漢詩を読むと、竹林の中で月を眺め、白酒を呑み、中国琵琶を奏でる情景にでくわす。弾琴また長嘯の世界である。竹林とは人が傘をさして散策できるものを言う。そうだとすると高根沢にあるのは「竹林」ではなく「竹藪」ということになるのだろうか。竹を利用した道具が日常生活の中から姿を消して久しい。需要がなければ「竹林」が「竹薮」になることは必定だろう。竹薮から月を眺めることは不可能であるし、酒もまずくなるにちがいない。それにもまして、いい竹の子も取れないのではないだろうか。

 

 A君を中心とする若者たちは最初、炭焼きの材料をどうしようかと思い悩んだフシがある。しかしこの悩みは、「竹薮」を「竹林」にしたいという願いを持つ協力者S氏の出現で解決したようだ。彼らは汗を流しその対価として竹を手に入れ、「竹薮」の持ち主はきれいになった竹林に満足をされたにちがいない。そして彼らが焼いた竹炭と竹酢液はバザーの益金となって福祉に役立てられるのである。

 

 仮称「たかねざわ炭焼き塾」そして仮称「たかねざわ炭焼き隊」。現在農政課で組み立てているこの試みは、準備が完了し次第、町民の皆さんに呼びかける予定になっている。「炭焼きしたい人この指とまれ」の号令がかかったら、私と一緒に間伐をして炭で真っ黒になりませんか。

 

 私は最近、本気で思いはじめている。「炭焼きは21世紀の日本を救う」と。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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