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高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

新年のごあいさつ
2003.01.01

 昨年の世相を表す漢字は「帰」でした。日本漢字能力検定協会が毎年公募し発表しています。「帰」には「かえる。かえす。もとにもどる。本来の場所にもどる。」(旺文社国語辞典)という意味があります。昨年は北朝鮮による拉致被害者五人の帰国があり、国民の多くが「帰」という漢字に強い印象を持ったのかもしれません。

 

 私は別の意味で「帰」について考えさせられました。

 

 第五十七回国民体育大会「よさこい高知国体」では、開催地が三十八年間続けてきた天皇杯(男女総合優勝)獲得に「こだわらない」という方針を橋本大二郎知事が掲げ、実行しました。県外の有力選手を教員などに採用する旧来の手法を排して「自然体」に徹したのです。開催地優勝にこだわって、開催年だけの「水ぶくれ」や「金メッキ」をやめたのでした。国民体育大会が「本来の場所にもどった」のです。橋本知事の英断に、私は心の中で「快哉」を叫びました。そして、福田栃木県知事が掲げる「分度推譲立県」の分度というのも、こんなことなのだろうと考えたのでした。

 

 私の手もとには今、北高根沢中学校三年生全員からの「メッセージ」があります。一枚一枚読んでいます。町に対する疑問、将来への考え、願い、実に多くのことが書かれていて、その真剣さにこちらの背筋がまっすぐに伸びる気がしています。そんな中で多くの生徒がこんなことを書いていました。「高根沢町の緑や大地といった自然を壊さないで欲しい。人間に便利という視点だけでなく、動物や植物からの視点も忘れないで欲しい」と。技術文明の追求は確かに暮らしを豊かにしてくれました。しかし、私たちは文明がもたらしたものをありがたがりながらも、その負の部分の重さにあえいでいます。二十世紀、私たち日本人は「自然に溶け込んで、上手に折り合いをつけながら暮らす」という得意技を否定し、技術文明の力で自然を征服すべきだという「アメリカ的」な考え方にどっぷりと浸かってきました。なかなかその考え方から抜け出せない大人たちを横目に、生徒たちの考え方はしっかりと「本来の場所にもどって」きているようです。

 

 芥川龍之介は「大川の水」のなかで、『大川(隅田川)あるがゆえに「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛するのである』と書いています。「東京」を「高根沢」に置き換えたとき、私たちは何を創り子ども達に残していくべきなのか・・・。

 

 十二月九日、例年より早く舞った雪に、町が少々混乱気味のその日、夕方六時からの会合に向かう私は、雪かきをしている友人を見かけました。彼の年齢は二十五、六。愛媛県出身。仕事の関係で故郷を離れ、アパートに一人暮らしています。

 

 「ああ、どうも。ここは通学路になっているので、明日の朝、子ども達が転ぶとかわいそうだから・・・」。いつもの、彼らしいはにかんだ口調が聞こえてきました。

 

 『君居るがゆえに吾、「高根沢」を愛し、「高根沢」あるがゆえに吾、生活を愛す』。

 

 貧しくとも心が豊かだった時代に、せめて想像力だけでも帰し、もう一度「本当の豊かさや幸せ」を考えることが必要なようです。心の底からそう感じるのです。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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