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この国を滅ぼしたくない

かつのりコラム

高橋かつのりが自身の考えや想いを綴るコラム『夢だより 風だより』

四期目就任にあたって~愛するふるさと高根沢町のために~
2010.09.01

歴史の大きな流れ

 今言われている日本経済を含む世界経済の危機は、経済学上でこれまで言われてきた景気循環等の問題ではなく、経済・産業・暮らしの根本からの変化として考える必要があります。例えば、不況が続く中で、人々が物を買わなくなったことが問題となり、もっと人々が物を買わなければ不景気は直らないと政治家や経済学者は言っていますが、実は、私たちは本当に必要なものをすでにほとんど手に入れているのです。経済の仕組みは私たちの生活を豊かにするためのものですが、ある程度の豊かさを手に入れた後でも、必要のないものまで買わなければ機能できないような経済の仕組みは、本来人間のための経済制度が、経済制度を続けるために人間が無理をしなければならない仕組みになってしまった気がしてなりません。そしてそんな仕組みには資源の浪費による環境破壊があることも事実です。

 

 私たちの考え方や感じ方、付き合い方、楽しみ方や価値観が、消費優先という戦後の経済成長社会の常識に完全に染まり、実際にそれは戦後日本において成功を収めたことも事実ですが、その結果現在の日本があります。そしてこれからも、この考え方は容易に変わるものではないことも承知しています。でも、歴史を高い位置から見たときに、近代以降の急速な産業発展(経済成長)は終わりを告げ、雇用や所得の成長が止まる社会がいよいよ到来したと判断すべきでしょう。私たちがこれまでの成功体験として信じてきた「努力をすれば昨日よりは今日、今日よりは明日、物質的に豊かになることが出来る」という約束が成り立たない時代になったことを、私たちは、残念ではあっても認識しなければならないのです。

 

 しかし悲観する必要はありません。これまでの仕組みが通用しなくなったことは確かに「危機」であるかもしれませんが、歴史的なチャンスであると捉えることも出来ます。「危機」によって「行きたいところへ行けなくなった」のではなく「別のもっと良いところへ行くことが出来る」のです。これまで価値がないものとして顧みられなかった「資源」が価値あるものと甦ることが出来るのです。要はそのための新しい仕組みづくりにあります。

 

 町づくりにおいても同じです。これまでの成功体験を前提とした考え方で町づくりを進めていったときに、日本や高根沢町が持続可能かどうか。「物財の豊かさが幸せ」という物差しをこれからも持ち続けることが、果たして人間を本当に幸福にするのか。そのような問いかけを常に念頭に置きながら、歴史の大きな流れを見誤ることのないように、町政を執行してまいりたいと考えています。

 

 

巡り来る八月十五日

 八月は私自身の改選期であると同時に、終戦記念日のある月です。いろんな思いが込み上げてきます。

 八月十四日の夜、倉本聡脚本の「帰国」というテレビドラマがありました。南洋の海底に眠る英霊たちの乗った列車が、日付が八月十五日に替り終電が行った後の東京駅に着きました。彼等小隊は、終戦から六十五年後、自らが命を賭けて守ろうとした祖国の姿を見極めようと一時的に帰ってきた、という設定でした。もちろん、あくまでもドラマです。主題や筋立てには、作る者の意志があります。観る方の感じ方はそれぞれでしょうから、それには触れませんが、随所に心に残る言葉があって、さすがに倉本脚本だと感じました。

 

「発展を、便利・さぼることと勘違いしてしまったのか。」

「貧困を貧乏が原因で困ることというが、貧乏でも幸せ、貧幸ということがあったのではないか。」

 そしてもっとも胸に迫ったのは

「こんな日本にするために我々は死んだのではないはずだ。」

という言葉でした。

 

 映画「月光の夏」も忘れることが出来ません。

 すでに米軍が沖縄に進攻していた昭和二十年五月のある日。二人の陸軍将校が佐賀県の鳥栖小学校を突然訪ねてきました。音楽教師の上野歌子先生が応対すると、二人は言いました。

 「自分たちは上野音楽学校(現在の東京芸術大)ピアノ科出身の学徒出陣兵です。明日、特攻出撃することになりましたが、学校を出て今日まで演奏会でピアノを弾く機会がありませんでした。もちろん祖国の為に命を捧げることは本懐ですが、今生の思い出に思い切りピアノを弾いて二人だけの演奏会をやりたいのです。今日は目達原の基地からあちらこちらとピアノを求め歩いて、やっとこの小学校にたどり着きましたが、どうかお願いいたします。」上野先生の胸中には灼きつく熱いものがこみあげてきました。

 

「どうぞ兵隊さん、時間のある限り弾いてください。私もここで聴かせていただきます。」

 静かな放課後の音楽教室で、二人の少尉は代わる代わるベートーベンの「月光」などの曲を奏でました。どこから聞きつけたのか、二十人ほどの学童達がいつの間にか集まってきて一緒に演奏に耳を傾けました。やがて帰隊の時刻が迫って来た時、上野先生は二人に向かって言いました。

「素晴らしいピアノを何年ぶりかで聞かせていただきました。この子どもたちもあなた方のお姿と一緒に永遠に今日のピアノ演奏を忘れることはないでしょう。明日は愈々ご出発との事ですが、心から御武運を祈らせていただきます。お別れにこの子どもたちと『海行かば』を合唱させていただきます。」

 教室一杯に静かに『海行かば』が流れました。子どもたちや先生は皆泣きながら歌いました。送られる二人の少尉もいつしか声を合わせて一緒に合唱していました。

 

帰り際、二人の少尉は、

「この戦争はいつかは終わります。しかし今自分たちが死ななければ、この国を君たちに残すことはできません。」

と言って子どもたちの頭をなで、満足の微笑をたたえながら去っていきました。翌日の午前、鳥栖小学校の上空に一機の飛行機が現れ、二度、三度と翼を大きく振りながら南の空に飛び去ったのでした。

 

 戦争を賛美するつもりは一切ありません。戦争は絶対悪です。しかし、今の日本を覆う「今さえよければ、自分さえよければ」という風潮は残念でならないのです。

■こちらのコラムに関して

こちらのコラムは、高橋かつのりが高根沢町長在任時、高根沢町の広報誌『広報たかねざわ』で執筆していたコラム『夢だより 風だより』を、高根沢町の許可を得て転載しております。
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